事実は一つ解釈は無数

生き方
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起こっている事実は一つでも解釈は無数にある

解釈のしかた

起こっている事実は一つでも人によって解釈のしかたは変わってきます。

同じ様に仕事で失敗したとしても、いつまでもクヨクヨしている悲観的な人もいれば、振り向いた瞬間に何事もなかったかの様にしている楽観的な人もいます。

いったいその人達は何が違うのでしょうか?

今回は解釈についての3つの基準について話していきたいと思います。

第一の基準 内的か外的か

まず、第一に物事の原因を内的なことに求めるか、自分の外に求めるかで違ってきます。

内的に求める人は自分自身の中に原因を作っていきます。

例えば、友達が欲しいけど「なかなか上手に作れない」

それは、自分の目つきが悪いからだ・・・

自分が上手に喋る事が出来ないからだ・・・

もしかして自分の体か臭い・・・などある事ない事まで考えて自分に原因を作っしまいます。

違って外的に考える人は

あの人とは反りが合わなかっただけで、他に話の出来る人はいるだろう。

たまたま、今日は相手の機嫌が悪いだけで明日には仲良くできるだろう。と周りの人やタイミングなど自分の外に原因を作って考えます。

第二の基準 長期的か一時的か

第二の基準は、よくない出来事が長期的に続くと思うのか、一時的なものと思っているかの違いです。

自分の目つきが悪いせいで友達が出来ないし、容姿は簡単に変える事が出来ないので「これから先ずーっと一生」人とは仲良く出来ないだろうと・・・原因が長期的に続くととらえてしまい、いつまでも「悲観」の中にいます。

一時的なものと捉える人は同じ目つきが原因だとしても、年齢を重ねれば見え方も変わるだろうから大丈夫、今日は寝不足で顔色が悪かっただけなど「楽観的」にとらえる事ができます。

第三の基準 限定的か包括的

第三の基準は、限定的に物事をとらえるか包括的にとらえるかでかわります。

自分の悩みごとをどの範囲にまで広げて考えるかが違ってきます。

包括 意味「全体をひっくるめてまとめる事。」

「悲観的な人」は友達がいないから「趣味が見つからない」や「外に出かける楽しみがない」など一つの事実を、ほかの物事につなげる包括的な考えをします。

限定的にとらえる「楽観的な人」は友達がいなくても「一人で楽しむ事は出来る」と考えます。

事実、一人カラオケも行けるし釣り、キャンプなど楽しめる事は沢山あります。

さいごに

今回の話の目的は楽観的だから良いとか悲観的だから悪いと言う話ではないです。

自分自身が生活していく上での物事のとらえ方を見直して欲しいために書きました。

一つの事実に囚われて「自分自身」で悲観の渦に引込まれてしまわない様にして欲しいです。

解釈のしかた一つでこれから先の行動も変えていけるでしょう。

また、悲観的だからと言って悪いこともないと思います。内的にとらえれる方は、人のせいにするより自分を改善して成長していけるはずです

長期的にとらえる方も、問題が継続する為に解決する為の行動に移せると思います。

包括的にとらえる方は、他人の気付けない問題にもたどり着けるかもしれません。

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バイバイまたねー✋

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